書いたものを読み返さなくていい話

書くことと歩くこと

はじめに

書いたものを、あとで読み返す前提で残していると、
書く前から少し身構えてしまうことがあります。
「後で見たときにどう思うだろう」「変なことを書いていないだろうか」。
そんな気持ちがよぎって、言葉が慎重になり、
本来は外に出したかった考えが、内側に引き戻されてしまう。
考えを軽くしたくて書いているはずなのに、
いつの間にか緊張が増えている。
そう感じてしまうのは、考えすぎてしまう人にとっては、とても自然なことのように思えます。

暮らしの中の視線

私たちは日々、あとから見られることを前提にした言葉に囲まれています。
仕事の記録、連絡、投稿、メモ。
どれも「後で確認する」「役に立てる」ことが期待されている。
生活リズムが忙しく、頭が休まる時間が少ないほど、
書く行為にも成果や整合性を求めてしまいます。
静かに考える余白が減ると、
書いた言葉をそのまま置いておくことが、
どこか不安になる。
それは性格や几帳面さの問題ではなく、
暮らしの中にある「振り返り続ける空気」の影響なのかもしれません。

読み返さないという置き方

書いたものは、必ずしも読み返さなくていい。
そう考えてみると、書く行為の重さが少し変わります。
後で使うためでも、理解するためでもなく、
今の考えを一度、外に出すためだけに書く。
誤字があっても、話が飛んでいても、
結論がなくてもいい。
読み返さない前提なら、
言葉は完成形を目指さなくて済みます。
「ここに置いたら、もう触らなくていい」。
そんな距離感で書くことも、
考えと向き合う一つの形なのかもしれません。

途中のページ

例えば、ノートに走り書きした数行。
あとで見返すつもりだったのに、
結局、開かないまま数日が過ぎていく。
内容は覚えていないけれど、
書いた直後は、少しだけ頭が静かだった。
あるいは、スマートフォンのメモに残した言葉を、
そのまま消してしまった夜。
残らなかったけれど、
そのとき抱えていた考えは、
確かに一度、外に出ていました。
読み返されなかった言葉も、
役割を果たしていなかったわけではなさそうです。
そうした途中の状態は、
誰の暮らしにも自然に混じっています。

まとめ

今日は何かを変えなくていい日です。
書いたものを、整えなくても、
活かさなくても、読み返さなくてもいい。
言葉を外に出して、そのまま手放す。
それだけで、十分なこともあります。
この文章を読み終えたとき、
「書いたら終わりでいい」と感じられたなら、
それだけで少し、呼吸が楽になるかもしれません。
言葉は、残らなくても、
そのときの暮らしの中に、静かに溶けていくのだと思います。

※このテーマについては、下記のページで整理しています

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