はじめに
考えごとが頭から離れず、
一日中、同じところを行き来しているように感じる日があります。
考えても答えは出ないと分かっているのに、
止め方も分からない。
頭だけが忙しく、体は置き去りになっているような感覚。
そんな状態に覚えがある人も、きっと少なくないと思います。
そう感じてしまうのは、暮らしの中では自然なことのようにも思えます。
暮らしの中の偏り
日々の生活は、思考を使う場面にあふれています。
考えて判断し、選び、先を読む。
画面を見れば情報が流れ込み、
静かにぼんやりする時間は、意識しないと消えてしまう。
生活リズムが崩れていたり、
休むつもりでも頭が動き続けていたりすると、
体より先に、思考だけが前に出てしまいます。
それは集中力の問題というより、
暮らし全体が「頭を使う側」に傾いている状態なのかもしれません。
体に預けるという距離
考えを止めようとすると、かえって意識してしまうことがあります。
そんなとき、思考を無理に整理する代わりに、
体に少し預けてみる、という感覚もありそうです。
呼吸の深さ、足の重さ、椅子に触れている感触。
考えを追い払うのではなく、
考えを持ったまま、体のほうに重心を移す。
「今は体がここにある」と感じるだけでも、
思考との距離は少し変わります。
正解を出さず、
「こう感じてもいいのかもしれない」と、
曖昧なまま身を委ねる。
そんな置き方もあっていいように思えます。
途中の感覚
例えば、考えごとをしながら歩いていて、
ふと足の疲れに気づいた瞬間。
思考は続いているけれど、
全てを占めてはいなかった。
あるいは、横になって天井を見ているうちに、
考えの内容より、体の重さが先に意識に残った時間。
答えは出ていないし、
何かが解決したわけでもない。
それでも、思考だけで立っていた状態から、
少し姿勢が変わっていた。
そんな途中の状態は、
誰の暮らしの中にも、静かに現れるものです。
まとめ
今日は何かを変えなくていい日です。
考えをまとめなくても、
前向きにならなくてもいい。
思考を、少し体に預けただけで、
十分なときもあります。
この文章を読み終えたとき、
肩や呼吸に、わずかな変化を感じられたなら、
それで足りています。
考えは頭だけのものではなく、
体と一緒に在るものなのかもしれません。
今日はその感覚を、そっと残したままでいてもいいのだと思います。
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