はじめに
歩きながら考えると、少し整理される気がする。
そう思って外に出たのに、頭の中は相変わらず忙しいまま。
足は前に出ているのに、考えは同じところをぐるぐる回っている。
「せっかく歩いているのに」と、どこかで評価してしまう自分もいる。
そんな感覚に覚えがある人は、きっと少なくないと思います。
そう感じてしまうのは、考えすぎてしまう人にとっては自然なことのように思えます。
暮らしの中の重なり
日々の暮らしは、歩く時間にも意味を重ねがちです。
運動になる、気分転換になる、考えがまとまる。
歩くこと自体が、何かの役に立つ前提で語られる場面も多い。
生活リズムが慌ただしく、
一人でぼんやりする時間が少ないほど、
「歩いている間に何か考えなければ」という意識が強くなることもあります。
情報に触れる量が多いと、
考えを休ませる余白がなくなり、
歩きながらも思考が止まらない。
それは性格や集中力の問題というより、
暮らしの中にある期待の重なりがつくる状態なのかもしれません。
距離を置くという感覚
歩きながら考えるとき、
考えとぴったり向き合おうとしなくてもいいのかもしれません。
答えを出すために歩くのではなく、
考えと少し距離を置いたまま、一緒に連れていく。
考えが浮かんでも、追いかけすぎない。
途中で途切れても、拾い直さない。
「今はここまで考えた」と、そっと手放す。
そうした距離感があると、
歩く時間は思考の場ではなく、
思考が横に並ぶ時間になります。
正解を出さなくてもいい。
「こう歩いてもいいかもしれない」と、
曖昧なまま続けてみる余地もありそうです。
途中の風景
例えば、同じ悩みを考えながら、
同じ道を何度も歩いていた日。
考えは進んでいないけれど、
靴音や風の冷たさだけは、確かに残っている。
あるいは、考え事の途中で、
信号や人の流れに意識を持っていかれ、
一瞬、何を考えていたのか忘れてしまった時間。
答えは出ていないし、
何かが解決したわけでもない。
それでも、考えと少し離れた時間が、
歩く途中に混じっていた。
そうした途中の状態は、
誰の暮らしにも自然に起こりうるものです。
まとめ
今日は何かを変えなくていい日です。
歩きながら考えても、
考えがまとまらなくていい。
距離が縮まらなくても、
離れきらなくてもいい。
考えと並んで歩いた時間があれば、それで十分です。
この文章を読み終えたとき、
「歩くときは、このくらいの距離でいい」と感じられたなら、
その感覚を持ったまま、今日を終えてもいいのかもしれません。
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